技芸はどう育つのか〜徒弟制度の実践と親方の学び

本記事は、仕事を労働ではなく「技芸」として捉え直す「仕事技芸論」シリーズの記事です。

前回の記事では、なぜ私たちが師匠と弟子という関係を選んだのかを書いた。今回は、その中で具体的にどう育てているのか。親方たちが実践の中で得た学びと、うまくいかないことも含めて書いてみたい。

試合をしなければ育たない

技芸の育成において、私が最も大切だと考えていることがある。全体をつくる経験を早い段階から積ませることだ。

ソフトウェア開発のゴールは「コードを書くこと」ではない。お客さまの事業を成長させること、業務の問題を解決すること。それがゴールである。しかも私たちの「納品のない受託開発」では、お客さまとの対話から問題や実現したいことを引き出すことから始まり、つくって終わりではなく、成果が出せているかどうかまで気にする。

このゴールに至る全体のプロセスを体験しなければ、部分だけ鍛えても意味がわからないまま終わる。効率を突き詰めると分業に行き着くが、分業では自分の作品だとは感じられない。面白さも熟達もそこにはない。コーディングはいくらでも効率化できるし、AIで代替もされうる。しかし、全体を見て目的の達成に導く力は、全体を経験しなければ身につかない。

サッカーに例えるとわかりやすい。プロのサッカー選手は、基本的なことがすべて高いレベルでできた上で、得意な役割がある。しかし、すべてをマスターしないと試合ができないわけではない。技術的に劣る部分があっても、試合をすれば何が足りないかがわかるし、勝っても負けても試合そのものが面白い。面白いから続けられる。だから小さな頃から試合をする。練習だけしても、うまく育たないのだ。

ソフトウェア開発も同じである。ただし、本番環境に未熟な成果物を出すわけにはいかない。そこで私たちは「安全に試合ができる場」として、毎月のハッカソンを用意した。ゼロから企画し、設計し、実装し、動くものを見せる。全体をつくる経験を、安全な環境で繰り返すのだ。

それと並行して、可能な限りお客さまとの打ち合わせに弟子を同席させる。親方がやっていることの全体が見えるようにするためだ。部分練習と試合の両方を回すことで、弟子は育っていく。

遊びが先、徒弟制度は後

試合が面白いのは、プログラミングそのものが面白いからだ。この「面白い」という感覚が、育成の出発点になる。だから弟子入りの前に、まずプログラミングで遊ぶ時間を確保することにしている。

同じ時期に二人の新入社員を迎えたことがあった。一人は少し開発経験があったので、そのまま弟子入りさせた。もう一人は開発経験がほぼなかったので、最初の半年ほどはゲームをつくらせることにした。プログラミングが面白くて没頭できて、寝食を忘れて取り組めるものだと思ってもらいたかったのだ。

結果は対照的だった。遊びから入った社員は、プログラミングで遊ぶようになり、自分から弟子として頑張りたいと言うようになった。

一方、いきなり弟子入りした社員は、難しさの方が大きくなったためか、仕事中は頑張るけれど、仕事の時間が終わるとプログラミングをしなくなった。プログラミングが面白いからやるのではなく、プログラマとして仕事ができるようになることが目的になってしまったのかもしれない。結果として、その社員は別の道を選んだ。

面白いと思えるから向上心が生まれ、向上心があるから親方の教えを素直に受け入れられる。親方もフィードバックのしがいがある。面白さが先になければ、徒弟制度はうまく機能しない。

弟子入りは強制ではなく、本人の自己決定から始まる。自分で決めたことでなければ、どこかで誰かのせいにしてやめてしまう。自分で決めたからこそ、その決断を正解にするために頑張れる。

弟子入りを受け入れるには、自分自身で上達したいという気持ちが必要だ。だから、その前の段階で遊ばせて、上達したい気持ちを醸成させることにしたのだ。

親方という存在

徒弟制度における親方とは、どんな存在なのか。

まず、親方は弟子の上位互換でなければならない。親方自身がプレーヤーであり続け、弟子よりも高い技術力を持つ。弟子の仕事は親方の仕事の一部であり、いざとなれば親方が代わることができる。プレーイングマネージャーという言い方があるが、親方はむしろマネージングプレーヤーだ。本職はあくまでプレーヤーであり、プログラマであること。その上で弟子を育てる。

弟子は親方の仕事の仕方を真似るところから始める。ただし、表面だけをなぞるのではない。大切なのは、親方の行動の意図を理解することだ。なぜそう判断したのか、なぜその方法を選んだのか。何度も意図を確認し、違っていたらフィードバックをもらう。

そうしているうちに、弟子の頭の中に親方が住み着く。コードを書いているときに、親方ならこう書くだろうか、これを見せたら何と言われるだろうか、と考えるようになる。私たちはこれを「リトル親方」と呼んでいる。何をしたら良しとされるのか、親方と価値判断が揃ってくる。それが型を身につけるということだ。

だからこそ、親方には一貫性が求められる。もし親方の考え方が毎回ブレていたら、弟子は親方の顔色を伺って正解を当てにいくだけになってしまう。親方が確固たる考え方を持ち、判断にロジックを持っていれば、弟子はその考え方のOSをインストールできる。その上で、自分の考えを持てるようになる。

一方で、親方は完璧な人間である必要はない。少しドジなところがあってもいいし、弟子と一緒にランチをしながらしょうもない話をしてもいい。弟子が親方を尊敬するのは、肩書きや権限があるからではない。圧倒的な実力の差があるからだ。実力が尊敬の源泉であり、人間らしさがあってこそ、師弟の関係性は築ける。

親方と弟子は、同じ道の先にいる同志でもある。弟子からすると遥か遠くだが、親方は同じ道の先にいて、親方自身もまだその先に進もうとしている。ソフトウェア開発の道を極めようとするコミュニティだからこそ、徒弟制度は機能する。

観察こそが親方の仕事

徒弟制度を三年ほど運営してきて、親方たちの間で共有されるようになった実践知がある。その中で最も大切なのは「観察」だと感じている。

弟子のタスクの進め方、調べ方、質問の仕方、迷ったときの反応、試行錯誤の痕跡。結果だけではなく、プロセスを見る。アスリートの育成で、記録だけを見て「もっと良い記録を出せ」と言うフィードバックはありえない。フォームや練習方法を見て改善していくことで上達する。プログラミングも同じだ。

観察していると、弟子の実力やコンディションが見えてくる。そこから、頑張ればちょうどできるレベルの仕事を渡す。この難易度の調整が、親方の大切な仕事である。簡単すぎれば退屈になり、難しすぎれば自信を失う。弟子がフロー状態に入れるような課題を設定するには、日頃の観察が欠かせない。

最初のうちは量を重視する。量をこなすことで質に転化するからだ。最初からいいコードを書こうとか、いい設計にしようと考えすぎて手が動かないのでは、何も経験値は得られない。まずはたくさんコードを書くことが大事だ。

親方は次々と新しいことに挑戦させたくなるが、新しいことは質の転換を求められる。その前に量稽古が必要だ。今の仕事が当たり前にできて余裕が生まれてから、質の転換に向かう。

こうした観察を続けていると、弟子の限界も見えてくる。特に忙しい時期にそれは顕著になる。限界は伸びていくものなので、定点観測を続けることが大切だ。弟子の速度がわかれば、親方もアクセルが踏みやすくなる。

口を出しすぎないことも大切だ。口を出すと、それは親方のアウトプットになってしまう。口を出さずに見ることで、弟子のボトルネックが見える。

失敗する前にフォローしすぎると、本当の強さは身につかない。観察していれば、取り返しのつかない失敗にはならない。たった一つの正解だけを教えるよりも、試行錯誤して身につけた答えの方が、将来に役に立つ。

ただし、違和感には厳密でなければならない。弓道の「正射必中」という言葉がある。正しく射れば、結果は自ずとついてくるという考え方だ。仕事の結果だけを見ても、なぜ時間がかかっているのか、なぜ品質が悪いのかはわからない。過程を見れば一目瞭然である。些細な違和感でも流さず、その場でフィードバックする。それが親方の責任だ。

教え方にも段階がある。最初は答えを教える。次に、正解を知った上で自分で練習させる。やがて自分で考えるように促し、最終的には内省の振り返りへと変わっていく。弟子のフェーズを見極めて、教え方を変える。このフェーズの見極めも、観察があって初めてできることだ。

一人では育てられない

親方と弟子の一対一の関係だけでは、育成は完結しない。

私たちが大切にしているのは、タテ・ヨコ・ナナメの関係性で弟子を支えることだ。タテは親方と弟子の指導関係。ヨコは弟子同士の関係である。同じ親方ハウスにいる弟子たちが互いに助け合い、刺激し合う。別の拠点にいる同期の弟子が、落ち込んでいる仲間をわざわざ励ましに行ったこともあった。ナナメは、採用や育成を全社横断で担う人事で、親方には言いづらい相談を受ける存在だ。

ある親方は「班全体で弟子を育てている感じ。地域全体で子供を育てている感じ」と表現していた。親方一人に閉じない育成の構造が、弟子にとっても親方にとっても、安心できる環境をつくっている。

親方自身の振り返りも欠かせない。弟子の課題を記録するだけでなく、「自分がこうすべきだった」という反省も残す。ある親方は「弟子が最近少し雑になってきたと思ったが、自分が雑になっていたと気がついた」と語っていた。弟子は親方の鏡でもある。

そして、師弟の関係は一代で閉じない。前回書いたように、物理的な近さを卒業しても、師弟の関係そのものは続く。一人前になった弟子がやがて自分の弟子を持つ。親方と元弟子の関係は、指導する側とされる側から、対等な仲間へと変わっていく。この連なりが、コミュニティの中に文化を伝える経路をつくっている。

うまくいかないこともある

弟子が辞めることはある。大半は入社して半年以内だ。

実際に働く親方やベテランの姿、一緒に入った弟子たちの成長を目の当たりにして、「自分にはできない」と感じてしまう。長く続けてから辞めるケースは多くなく、早い段階で辞めていく。

ただし、私はこれを「失敗」だとは考えていない。合わなかっただけのことであり、別の場所で活躍している人もいる。育成において失敗はない。

早く育つ人もいれば、大器晩成の人もいる。決まった正解がない仕事だからこそ、育成にも決まった正解はない。結果だけを見て「成功か失敗か」を判定するのではなく、プロセスに価値を見出す。これは、仕事を技芸として捉えることの核心と通じている。

棟梁としての経営者

徒弟制度において、私自身の役割は「棟梁」である。親方たちの親方だ。

親方たちとはほぼ毎週の定例ミーティングがあり、育成の悩みを一緒に考える。責任と権限は親方に渡す。しかし、それがうまくいくように全力でサポートするのが棟梁の仕事だ。

前回書いたように、伝統的な徒弟制度が敬遠されるようになった原因の一つは、親方に責任も権力もすべてを渡してしまったことにある。育て方もわからないまま、孤立した親方のもとで弟子が潰れていく。それを繰り返さないための最も大切な設計が、棟梁による支援体制なのだ。

徒弟制度を導入して、最も育ったのは親方たちだった。育成という答えのない問いに向き合い続けることで、親方自身の技芸も深まっていく。弟子を育てることが、組織の文化を育てることにつながっていた。これは始める前には想像していなかった成果である。

徒弟制度で弟子は育つ。親方も育つ。そして組織も育つ。弟子がいることで生まれる不安定さが、制度や仕組みを見直す機会をつくり、組織を強くしていく。コミュニティとして文化が伝承される。では、育った先に何があるのか。技芸をどう認め、どう報いるのか。結果で測れないものを、組織としてどう扱うか。次の記事では、その問いに向き合ってみたい。

参考記事

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倉貫 義人

株式会社ソニックガーデン代表取締役社長。経営を通じた自身の体験と思考をログとして残しています。「こんな経営もあるんだ」と、新たな視点を得てもらえるとうれしいです。

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