技芸を「評価」することはできるのか〜目標管理からキャリブレーションへ

本記事は、仕事を労働ではなく「技芸」として捉え直す「仕事技芸論」シリーズの記事です。

前回の記事の最後に、こう問いかけた。「育った先に何があるのか。技芸をどう認め、どう報いるのか。結果で測れないものを、組織としてどう扱うか」。今回はこの問いに向き合ってみたい。

評価とは権力である

かつてプログラマとして、評価される側にいた。エンジニアとしての技術力には自信があった。しかし、技術力があるだけでは評価されない。それ自体は理解できる。

問題は、良い案件にアサインされるかどうかで評価が大きく変わることだった。上司が有能だったり、良いお客さまに恵まれたりすると、特別な力がなくても評価される。逆もまたしかり。つまり、評価には運が大きく影響する。運で自分の評価が変わることに、強い憤りを感じていた。

そもそも、人が他人を正確に評価することなどできるのだろうか。評価する・される関係では、対等な対話を築くことは難しい。評価される側は評価者の目を気にするようになり、評価のために仕事をするようになる。

嫌々仕事をする姿を見るのは耐えられなかった。評価で人を動かすのではなく、自主性・自立性を高める方にこそ力を注ぎたかった。

評価とは権力なのだ。やりたかったのは、その権力をなくすことだった。

内発的動機を守る

技芸は内発的な動機で駆動される。いいソフトウェアをつくりたい、自分の作品だと感じたい、作ったもので喜んでもらいたい。そうした気持ちは外からは与えられない。

こんな寓話がある。ある金持ちの芝生の庭で、近所の子供たちが勝手にサッカーをしていた。芝生が荒れて困った家主は、何度注意してもやめない子供たちに、サッカーの後に少しお金をあげることにした。何日か続けたあと、お金をあげるのをやめた。すると子供たちはサッカーをしなくなった。もともと楽しくてやっていたことが、お金のためにやることに変わってしまったのだ。

技芸的な仕事も同じだ。報酬差やランク付け、目標達成による昇進といった外発的な動機づけは、むしろ内発的な動機を壊してしまう。お金のことを気にせず、仕事に没頭できる環境をつくること。それが私たちの目指した姿だった。

評価のない十年

だから会社をつくったとき、評価制度はなくした。前に書いたように、給与はほぼ一律にし、賞与は全員で山分けにした。評価するのも、されるのも嫌いだったし、評価で人を動かすこともしたくなかった。

清々しかった。一定の基準を超える人だけを中途で採用していたから、フラットな運用で問題がなかった。自立した人たちが、自分の仕事に誇りを持ち、お互いを信頼して働く。評価がなくても、いい仕事は生まれていた。

評価面談の代わりにやっていたのは「すりあわせ」だ。半年に一度、社長である私と一人ひとりが1on1で対話する。YWTというメソッドを使い、やったこと(Y)、わかったこと(W)、次にやること(T)を一緒に確認していく。評価ではないので、うまくいったこともそうでなかったことも素直に出せる。失敗があっても、その先に繋がる学びがあればいい。

すりあわせと呼んでいるのは、本人の未来と会社の未来を「すりあわせる」機会だからだ。すりあう時には摩擦が生まれることもあるが、それは健全なことだと思っている。個人の思いを汲むことで、会社も進化できる。未来の目標を決めるのではなく、今の実感を起点にする対話だった。

フラットの限界

しかし、この仕組みには前提があった。セルフマネジメントができる人たちで構成されている、ということだ。

徒弟制度を導入するより前のことだ。まだ育成の仕組みがなかった頃、セルフマネジメントできる人たちのフラットな環境に、未熟な若者を迎え入れたことがあった。報酬に差はつけていたが、権利は他の社員と同等にしていたし、自主性も重んじていた。

結果として、うまくいかなかった。一方では、まだ仕事もできず成果も出せないのに、権利ばかりを主張するようになった。フラットだから、他の人と同じことを求める。それ自体がセルフマネジメントできていない証拠でもあった。

もう一方では、まわりの仕事のレベルが高すぎて、早々に辞めてしまった。

フラットは万能ではなかった。未熟な人をフラットに放り込むと、増長するか、潰れるか、どちらかになる。階段が必要だった。

この経験があったからこそ、創業十年を機に自主的に若者を採用すると決めたとき、最初から受け入れの仕組みを考えなければならないと思った。階段をつくるなら、何かしらの評価が必要になる。しかし、一般的な目標管理を導入する気にはなれなかった。

目標管理では技芸を測れない

多くの企業が取り入れている目標管理制度(MBO)は、半期ごとに目標を立て、達成度で評価する仕組みだ。しかし、技芸的な仕事にこのやり方を当てはめると、いくつもの問題が起きる。

まず、目標を立てる時点で駆け引きが始まる。高すぎる目標を設定すると達成できず低い評価になるから、絶妙にクリアできる水準に目標を置こうとする。結果として、低めの目標を設定した人が評価される構造になってしまう。

次に、半年の間に状況は変わり続ける。新しい仕事が始まったり、案件の内容が変わったりする。当初の目標にこだわれば仕事にならないし、目標を無視すれば評価できない。どちらにしてもズレが生じる。

さらに、個人評価が強すぎると、チームの中で助け合おうという気持ちが薄れる。自分の目標達成に集中するあまり、困っている仲間に手を差し伸べることが損になってしまうのだ。

そして、評価をわかりやすくしようとすると、数字で測れるKPIに頼ることになる。しかし、チームで仕事をしていく上で、数字に現れてこない貢献は多い。ミーティングをさりげなくファシリテーションしてくれる人、大変そうにしている人のケアをしてくれる人。チーム全体には欠かせないが、数字には簡単には現れてこない。

数字で測れるものだけを見ていると、測れないものを見る力が衰えていく。評価する側も、される側も、数字に頼るほど頭を使わなくなってしまう。

数字そのものが悪いわけではない。数字はバロメータとして使えばいい。問題は、数字をノルマにしてしまうことだ。

そもそも、目標を立てるということは、未来を確定させようとする行為だ。一週間先ならまだ見通せるが、半年、一年となると不確実性が高すぎる。不確実な未来について確定した目標を決めて、その達成度で評価する。それは工業的な結果思考であり、技芸的なプロセス思考ではない。

今を一生懸命に生きる、できる範囲でベストを尽くす。私たちが大事にしたいのは、そちらの方だった。

徒弟制度とキャリブレーション

目標管理ではない方法が必要だった。そこで私たちが取り入れたのがキャリブレーションだ。前回までに書いた徒弟制度と、このキャリブレーションは表裏一体の関係にある。徒弟制度だけでは、昔ながらの権力構造を生み出してしまう可能性がある。親方が弟子を評価し、親方の意向で弟子の処遇が決まる。それでは、なくしたはずの権力が形を変えて戻ってきてしまう。

キャリブレーションとは、評価ではなく「期待のすり合わせ」だ。もともとは取締役CTOとして関わっているクラシコムで生まれた仕組みで、私たちも取り入れている。

目標の達成度で評価するのではなく、「今この人にどういうことができるのか」の実態を見る。見るのは二つの軸だ。一つはパフォーマンス。もう一つはコスト。ここでいうコストとは、教える手間、心配する負荷、代わりに判断する頻度といったマネジメント上のコミュニケーションコストのことだ。

この二つの軸で実態を見て、それに合ったロールを決め、ロールに紐づいた報酬を出す。期待に応えてくれたら、まず感謝する。それ以上の成果が安定して見られるようになったら、次のステップを用意する。

大事なのは「先に上げない」ことだ。クラシコムの青木社長はこれを「Tシャツピチピチ理論」と呼んでいる。子供にぴったりのTシャツを着せて、体が大きくなってピチピチになったら、ワンサイズ上げる。最初からブカブカの服は着せない。実態が先で、等級は後追い。

よくある失敗は、期待を込めて先に等級を上げてしまうことだ。有能な人が昇進を重ねた結果、能力を超えるポジションに就いてしまう。ピーターの法則と呼ばれるこの問題を、実態先行の仕組みが防ぐ。

全員でのコンセンサス

キャリブレーションのもう一つの要は、親方一人に任せないことだ。弟子のキャリブレーションは親方が行うが、一般的な会社のように上司一人で評価するのではなく、親方たち全員が集まり、経営陣が加わって、全員でコンセンサスをとっていく。

そうすることで、よりフェアになるし、親方一人に権力が集中しない。

キャリブレーションの場では、どういった観点で弟子たちを見ていくかを議論する。これが非常に難しく、面白い。以前の記事で示した「練度・広さ・セルフマネジメント」の尺度が基本的な指針になっているが、それだけではない。ロールに期待する内容そのものも、半年ごとに見直していく。事業も組織も変化するのだから、ロールの定義を固定しておく方が不自然だ。

こうして半年ごとに続けていくことで、育成に対する解像度が上がっていく。制度自体がアップデートされていくのだ。

一般的な人事制度は、一度決めたらずっと同じ内容で運用し続けることが多い。キャリブレーションは、変化に応じて柔軟に対応するアジャイル的な仕組みだと思っている。

モチベーションを高めようとするのではなく、モチベーションを阻害する要因を取り除く。評価のために頑張るのではなく、お客さまと仲間のために頑張れる状態をつくる。それがキャリブレーションの目指すところだ。

キャリアは探索的であっていい

私たちにとって、職種の前にソニックガーデンの仲間であることが先に来る。だから仕事の中身や役割は変わっていくことがあるし、変わる前提でいる。評価のための目標どころか、先々のことは本当に決めない。先のことを決めすぎないのが、技芸を大事にする組織のあり方だと思っている。

一人前の定義は時代や組織によって変わる。用意されたチェックリストをこなして昇格していくのではなく、回り道をしたり、失敗したりしながら、探索的にキャリアをつくっていく方が、結果として強くなる。

キャリブレーションの仕組みは、この探索を支える。今の実態を見て等級を決めるから、回り道をしても損にならない。寄り道した経験が、いつか思わぬ形で活きることがある。私たちの主事業はクライアントワークだが、当人のやりたいことを重視した結果、自社プロダクトが生まれたこともある。キャリアを探索的にすることで、組織も強くなり、できることも増えていく。それは「結果で測る」のではなく「プロセスを信じる」ということだ。

結果よりプロセスを大事にする

結果をコミットするために仕事をしているわけではない。やることの方を大事にし、しかもやることのプロセス自体が楽しく、やりがいのあるものでないといけない。「結果ありきで手段は問わない」を突き詰めると、最悪のケースは不正会計のようなことが起きる。

努力はするが無理はしない。ベストエフォートで頑張り、結果はついてくるだろうし、ついてこなかったらそれはしょうがない。仕事をやっていること自体、仲間とコミュニケーションを取ること、仕事を通じて人生を豊かにすること。それが私たちの価値観だ。

四章を通じて、コミュニティ、セルフマネジメント、徒弟制度、そして評価と語ってきた。組織を技芸で満たすために、私たちはこうした道を歩んできた。権力ではなく信頼で、結果ではなくプロセスで、制度ではなく文化で。それが、技芸を組織で育むということなのだと思う。

参考記事

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倉貫 義人

株式会社ソニックガーデン代表取締役社長。経営を通じた自身の体験と思考をログとして残しています。「こんな経営もあるんだ」と、新たな視点を得てもらえるとうれしいです。

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