「技芸」という言葉からは、職人やアーティストを想起するかもしれませんが、現代の仕事の多くは、実は技芸的な側面があります。
前回の記事「仕事を技芸とする文化を広げる」では、仕事を労働や苦役ではなく、学びと上達のある技芸として捉える「仕事技芸論」の思想を書きました。今回はその続きとして、どんな仕事が技芸的になりうるのかを考えます。
私たちソニックガーデンではプログラミングの仕事を技芸と捉えていますが、それに限らず、営業、教育、マネジメント、経営、人事、医療など、様々な仕事を技芸として捉えることができます。
その鍵になるのが、創造性、上達、主体性の3つの構造です。
創造性:考える力を発揮できるか
「創造性」と聞けば、特別な才能や芸術的なセンスを持つ人だけのものだと思われがちです。ですが、現代の多くの仕事においても、創造性を発揮する場面はいくらでもあります。
教育の場面で生徒の理解に応じて教え方を工夫する。マネジメントでチームの状況に合わせて方針を決める。営業で顧客の反応を見ながら話し方を変える。より成果を上げるための創意工夫はできます。
創造性の源泉は「考える力」です。もちろん、センスや才能も大事ですが、それを伸ばすためには、考えることが欠かせません。
どんな仕事であっても、どうすればもっと成果が出るのか、もっと相手を喜ばせることができるのか、もっと上達できるのか、それを考えるのです。その創意工夫を凝らすことこそ、技芸的な取り組みだと言えます。
逆に創意工夫の余地のない環境では、技芸的に取り組むことは難しいでしょう。マニュアルや画一的なルールがあり、できるだけ同じ結果になることを求めるならば、むしろ機械化する方が合理的です。
上達:技能を育むことができるか
技芸的な仕事の中心にあるのは、上達の構造です。経験を重ね、少しずつ判断や感覚が磨かれていく。それが仕事を技芸に変えるプロセスです。
「仕事に慣れる」と「仕事が上達する」のは違います。始めたばかりの頃は、できるまでは慣れるかどうかもあるでしょう。しかし、慣れればできてしまう仕事では、そこに上達の奥行きはありません。
また、知識さえあればできることは研修で済みますが、現代の多くの仕事が研修で知識を得るだけでは、良い成果を出すまでには至りません。面接やカウンセリング、マネジメント、ソフトウェアの設計、コンサルティングなど、どれだけ本を読んでも、実際にやってみないと上達することはないでしょう。
実践を続けていく中で、自分自身の中に経験が蓄積していく仕事には、上達の喜びがあり、上達には終わりがないことも技芸的と言えます。個人の技能として育むことができることが前提となります。
一方で、どれだけ取り組んだとしても、経験が得られず、もしくは経験が蓄積されないものだと、技芸として取り組むのは難しいでしょう。
主体性:自ら決めることができるか
技芸的な仕事の三つ目の構造は、主体性です。誰かの指示に従うだけでは、創造も上達も生まれません。自分の頭で考え、自分の判断で選び、結果に責任を持つ。その姿勢は、技芸に取り組む人のそれです。
主体性は「好きにやる」ではなく、自由と責任を引き受けることです。判断を委ねられるからこそ、結果に対して自分ごととして向き合う必要がある。この自由と責任の往復の中で、人は成熟していきます。
主体性を発揮するための前提となるのは、その仕事で一定の範囲で決めることが許容されているかどうかです。決められた手順で、決められた成果物を作るだけだとすると、主体性は要りません。
また、受け身では、仕事に対する創意工夫も生まれず、経験からの上達もないでしょう。創造性や上達の前提にあるのが主体性とも言えます。
主体的に働くことで、仕事は「与えられた課題」から「自分の挑戦」へと変わります。そうなると技芸的な仕事に変わり、面白さや楽しさが生まれてくるでしょう。
再現性の低さが技芸の生まれる土壌
技芸的に取り組むための「創造性」「上達」「主体性」の3つの構造を備えた仕事は、再現性の低い仕事と言えます。
再現性が低い仕事では、同じ手順を踏んでも同じ結果は出ません。毎回、状況や相手が異なり、その場で考え、判断し、工夫する必要がある。その都度考える仕事だからこそ、経験が積み重なり、上達が起きます。再現性の低さこそが、技芸の生まれる土壌です。
これまで私は、再現性の低い仕事のことをクリエイティブな仕事と呼んできました。クリエイティブと言っても、芸術に関わるということではなく、繰り返しのない仕事には創造性が欠かせないという意味です。
また、ピーター・ドラッカーの提唱した「ナレッジワーク」も近しい概念です。以前に私の書いた記事「ナレッジワーカーの本質は創造的な仕事と主体性」では、マニュアルワーカーとナレッジワーカーの比較を説きましたが、ナレッジワーカーの働き方は技芸的と言えます。
マニュアルワークが機械やAIに置き換わっていく現代において、ナレッジワークであり、再現性の低いクリエイティブな仕事の比率は高まっています。そう考えると、現代の多くの仕事がすでに技芸的な性質を持っているのです。
クラフトワークの時代に働くということ
ここからは技芸的になり得る仕事のことを「クラフトワーク(craft work)」と呼んでみます。そして、クラフトワークに従事し、仕事を技芸と捉えて取り組む人を「クラフトパーソン」と呼ぶことにします。
クラフトワークにおける上達の概念は、非常に身体的な感覚があります。ナレッジワークと言うと、どうしても頭でする知的な活動で必要なのは知識だと思いがちですが、大事なことは実践を通じた訓練です。訓練で「身につく」のだからフィジカルなものなのです。
また、クラフトワークは手仕事と同じで、結果は一つ一つが異なっています。それが大量生産との違いです。そのどれもが一品モノであることは、だからこそ価値があるとされます。現代の再現性の低い仕事は、どれもが一品モノだから価値ある手仕事とも言えます。
クラフトパーソンは、必ずしも特定の職種に就くことを意味してはいません。プログラマやデザイナーといったわかりやすい技能もありますが、どんな仕事であっても、創造性、上達、主体性があれば技芸として取り組むことは可能です。
現代は正解のない時代と言われます。正解がないからこそ試行錯誤が必要で、再現性が低いからこそ属人的な強みが活きるのです。「ナレッジワーカー」が知識の時代を象徴したように、これからの時代は、答えのない仕事に向き合う私たち一人ひとりが、クラフトパーソンとして学び続けていく時代なのかもしれません

