管理をやめたら、組織はうまくいった〜技芸が育つ場のつくり方

本記事は、仕事を労働ではなく「技芸」として捉え直す「仕事技芸論」シリーズの記事です。

前回の記事で書いたように、ソニックガーデンはチームではなくコミュニティだった。そのコミュニティに人が集まってきた後、最初に直面したのは「この人たちをどうマネジメントするか」という問いだった。

一般的な会社であれば、人が増えたら組織図をつくり、管理職を置き、評価制度を整え、ルールを増やしていく。それが当たり前だと思っていた。しかし私たちは、その当たり前をほとんどやらなかった。やらなかったというより、やる必要を感じなかったのだ。

最初から設計していたわけではない。ただ、振り返ると、技芸が育つ場にはいくつかの条件があった。管理をしなかったこと、採用に時間をかけたこと、仕組みで守ったこと、属人性を活かしたこと。一つずつ振り返ってみたい。

管理がない会社

ソニックガーデンには、一般的な会社にあるものの多くがない。

売上目標がない。管理職がいない。経費の決裁がない。上司への報告経路がない。指示命令がない。予実管理がない。オフィスもない。働く時間も場所も、各自に任されている。

こう並べると、会社として成り立つのかと思われるかもしれない。私自身、大企業で働いていた頃の感覚からすれば、信じられない光景だと思う。しかし、これが私たちの日常である。

では、この組織はどう動いているのか。

答えはシンプルで、一人ひとりが自分で考えて動いている。お客さまの現場に入ったプログラマは、自分で判断し、自分で仕事を進める。経費が必要なら自分の判断で使う。休みを取りたければ自分で調整する。誰かの許可を待つ必要がない。

ただし、これは放任とは違う。自由に動いているように見えて、全員が「いいソフトウェアをつくる」という同じ方向を向いている。技芸を磨き続けたいという意志を共有している。だから、バラバラにならない。『管理ゼロで成果はあがる』にも書いたが、管理をなくすことと放任は全く違うのだ。

私たちが目指してきた働き方を一言で表すなら、「遊ぶように働く」になる。仕事に没頭し、楽しみ、こだわり抜いている姿が、傍から見ると遊んでいるように映る。そういう状態のことだ。仕事を技芸として生きる人の、一つの理想形だと思っている。

お客さまとの打ち合わせも、ソフトウェアをつくることも、仲間といっしょにトラブル対応をすることも、侃侃諤諤の議論さえも、どれも遊ぶように働いている。ハッカソンのような遊びの場だけの話ではない。日常の仕事そのものが、そうなのだ。

技芸的な仕事は管理できない

管理をしなかったのは、理念が先にあったからではない。プログラマとして働いてきた中で、管理がなくても良い仕事はできると実感していたからだ。

私自身、プログラマとして最も高い生産性を発揮できたのは、自らの意思で「もっと良くしたい」と思えたときだった。そのプロダクトが自分の作品のように感じられたとき、満足のいくまで取り組みたいと思ったし、誰かに管理されなくても一生懸命に頑張った。

ソフトウェア開発は再現性のない仕事である。同じプログラマが同じ機能をつくっても、まったく同じコードにはならない。毎回が一回きりの設計であり、創造である。再現性がないからこそ、個人の腕が問われる。そこに技芸が生まれる。そして、技芸を磨くのは、本人の内側から湧く意志だけである。

再現性のない仕事では、品質も生産性も頭の中で起きている。外側から監視しても見えないし、細かい指示命令も不可能である。良い仕事を引き出すために最も重要なのは、本人のやる気なのだ。であれば、外発的な動機づけは極力なくした方がいい。誰かにマネジメントされるのではなく、自らをマネジメントする。これが、私たちが管理をしなかった本質的な理由である。

もちろん、管理がないからといってマネジメントがないわけではない。私は、マネジメントとは「いい感じにすること」だと考えている。会社経営とは、会社をいい感じにすることに責任を持つ仕事である。管理は、マネジメントの手段の一つに過ぎない。成果が出せるのであれば、管理という手段を使う必要はないのだ。

採用が場をつくる

管理なしで組織が成り立っていたのは、偶然ではない。採用に時間をかけていたからである。

創業から十年くらいの間、私たちはセルフマネジメントができて、かつ高いパフォーマンスを発揮できる人だけを採用していた。スキルがあるかどうかだけではない。自分で考えて動けるか。仲間と協力できるか。技芸を磨き続ける意志があるか。そうした人物像を見極めるために、採用には一年から二年をかけることもあった。

長い時間をかけて互いを知る過程で、信頼関係も自然と築かれていく。入社した時点で、すでに仲間としての土台ができている。だから、管理がなくても組織として動ける。

「採用基準を厳しくすれば管理はいらなくなる」。これは一つの結論ではある。しかし、最初からそう考えていたわけではない。理想を掲げて実践していたら、そういう人が集まってきた。そして、そういう人たちだから管理が必要なかった。順序が逆なのである。

この採用の姿勢について、私たちは「歓迎するが、迎合しない」と表現している。応募してくれる人を歓迎する。しかし、来てもらうために基準を下げたり、条件を交渉したりはしない。それをやると、コミュニティの文化が壊れてしまう。

管理すべきは人ではなく仕組み

管理のない組織がうまくいっていたのは事実だが、問題がなかったわけではない。

創業から五、六年目の頃、大きなセキュリティ事故を起こしかけたことがある。セルフマネジメントできるメンバーが、それぞれの意識で対応していた。しかし、組織が大きくなるにつれて、個々人の意識だけでは全体を網羅できなくなっていた。抜け漏れが発生したのだ。

緊急事態として、私をリーダーに期間限定の対策チームを立ち上げた。指示命令と情報共有を明確にして、ほぼ全社員で対応にあたった。調査の結果、実害には至らなかった。全社員がお客さまへの説明を担当し、むしろ全員の結束が強まった。

振り返ると、このエピソード自体が、管理のない組織だからこそ自発的に動けたことの証でもあった。指示を待っている人はいなかった。全員が自分ごととして対応した。

ただし、このとき学んだことがある。全員の好意と努力に頼りすぎていたのだ。網羅が必要なことに関しては、管理の仕組みが必要だった。

対策として、情報セキュリティチームを組成し、責任者を置いた。経営として支援する体制を整えた。その後、労務管理についても同様に仕組み化を進めた。ただし、管理しているのは一覧やチェックリストであり、人ではない。個々のメンバーには引き続きセルフマネジメントで取り組んでもらう。

管理すべきは事象や仕組みであって、人や成果ではない。仕組みは仕組みとして整え、人の創造性は自由にしておく。こうして、自由な働き方を維持しつつ、堅牢な組織になっていった。

属人性を排除しない

管理のない組織をつくる過程で、もう一つ意識的に選んだことがある。属人性を排除しなかったことだ。

一般的な組織論では、属人性は問題とされる。手順を標準化し、マニュアルをつくり、誰がやっても同じ結果になるようにする。私がいた大手SIerでは、開発工程やドキュメントのフォーマットを統一し、属人性の排除が徹底されていた。

しかし、「誰でもできる」は「誰がやっても同じ」でもある。標準化された手順に従うだけの仕事を、面白いと思える人はいない。人のやる気を奪い、創造性を殺してしまう。人を交換可能な部品のように扱えば、その人が成長することはない。

ソフトウェア開発のような再現性のない仕事では、品質を左右するのは個人の判断や感性や経験である。技芸の文脈では、属人性こそが価値だ。技芸は本質的に属人的なものなのである。だから、私たちは属人性を排除するのではなく、属人性を活かす場をつくることにした。

とはいえ、一人だけに依存してしまうのは問題である。その人が休めなくなるし、組織としても脆い。そこで私たちは、システム開発の考え方を借りることにした。「属人性の排除」ではなく「単一障害点の排除」である。

システムの世界では、一箇所が壊れても全体が止まらないように設計する。同じ発想を組織に当てはめた。小さなチームで助け合い、情報はオープンにし、繰り返しの作業はシステム化する。そうすれば、個人の創造性を活かしながら、一人が休んでも仕事は止まらない。

属人性を排除して全員を均一にするのではなく、個人の強みを活かしたまま、単一障害点だけをなくす。これもまた、技芸を磨く場をつくるための大切な考え方だと感じている。

技芸を磨く場を支える仕組み

ここまで読んで、「そこまで自由なら、フリーランスでいいのではないか」と思われるかもしれない。確かに、自由さだけならフリーランスの方が上かもしれない。しかし、フリーランスは自由だが孤独でもある。一方、従来の会社は安定しているが不自由なことが多い。

私たちが目指したのは、その両方のいいところを取った第三の形だった。管理のない組織で自由に働きながら、コミュニティとしての恩恵も得られる。仲間との学び合い、安定した収入、困ったときに助け合える関係。

その両立を支えているのが、報酬の仕組みでもある。私たちは評価制度をやめ、給与はほぼ一律にし、賞与は全員で山分けにした。

個人の成果を細かく評価して報酬に差をつけると、どうしても評価者の目を気にするようになる。成果として見えやすい仕事ばかりを選び、地味だが大切な仕事を誰もやらなくなる。報酬で差をつけることが、自ら動こうとする気持ちを阻害してしまうのだ。

私たちのようなビジネスでは、一人ひとりの仕事の性質は似ている。個人ごとに大きな差をつける合理性がない。それならば、報酬による差を排し、自ら良い仕事をしたいという気持ちで駆動する場をつくった方がいい。

こうした一つひとつの仕組みが、技芸を磨き合う場を支えている。どれも、最初から設計したわけではない。コミュニティをいい感じに運営しようとした結果、一つずつ積み重なっていったものである。

ただし、この仕組みには一つの前提がある。セルフマネジメントができる人たちで構成されている、ということだ。創業から十年の間、私たちはそういう人だけを採用してきた。

では、まだセルフマネジメントに至っていない人をどう迎え入れるか。この問いが、創業十年を機に浮上することになる。次の記事では、その問いから生まれた「徒弟制度」について書いてみたい。

参考記事

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倉貫 義人

株式会社ソニックガーデン代表取締役社長。経営を通じた自身の体験と思考をログとして残しています。「こんな経営もあるんだ」と、新たな視点を得てもらえるとうれしいです。

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