外から関わり、内に踏み込む 〜 クラシコムと築いた経営とソフトウェアの統合、7年の記録

クラシコムとソニックガーデン、二つの会社の経営に継続的に関わるという、少し珍しい立場を通じて得た経験があります。

「北欧、暮らしの道具店」を運営するクラシコムには、2018年に社外取締役として関わり始め、その後、内製チームづくりや上場に向けた体制整備、基幹システムの刷新など、さまざまな局面に立ち会ってきました。

この記事では、その数年間の関わりを振り返りながら、ソフトウェア開発と経営の関係性を、実践を通じて考えてきたことをまとめています。

第1章:出会いとクラシコムに関わるきっかけ

クラシコムに関わる最初のきっかけは、共通の友人である楽天大学がくちょの仲山さんを通じてだった。2017年頃だったと記憶しているが、当時、面白い経営をしてる経営者たちが集まる会が、自由が丘にあったソニックガーデンの拠点で催されて、そこにクラシコム社長の青木さんも参加された。それが初対面だった。

以前から、SNSを通じてお互いのことは、うっすら知っていたけど、その機会で仲良くなって、その縁から、クラシコムのメディアに掲載するための対談もさせてもらった。その時の記事はこちら。

激動の時代、社員が自ら変化に対応できる環境を。ソニックガーデン倉貫義人×クラシコム青木耕平対談

業種・業界は違っていたし、経営者になるまでのバックグラウンドも違ったけれど、未来から逆算ではなく試行錯誤で経営をしていくスタイルなどの経営に対する考え方や美学が近くて、意気投合できたのだった。

その後、ほどなくして青木さんからクラシコムの経営陣に入ってほしいという提案を頂く。当時はまだ上場もしておらず、社員も40〜50人ほどだったクラシコム側の背景にあったのは、以下の2点だったと聞いている。

当時の経営陣は青木さん佐藤さんのご兄妹だけが取締役だったため、よりガバナンスを意識した経営をしていくために外部の取締役を探そうとしていたこと。

もう1つは、内製でのソフトウェア開発を強化していくこと。モール型のECから、自社製のECへ移行を済ませていたクラシコムだったが、それを改修していくためのエンジニア体制を整えていく必要があったが、創業者の二人にはテクノロジーの知見が浅かったので、助けが必要だと考えたこと。

そこで、現役の経営者であること、テクノロジーの経験に基づいた知見があること、何よりクラシコムの少しユニークな経営に理解のある人という観点から、倉貫への白羽の矢が立った。

かたや、当時のソニックガーデンと倉貫の状況といえば、2016年にオフィスをなくして25人ほどいた全社員をリモートワークに移行して、そのためのマネジメントとして「管理しない」方法を模索していた。ホラクラシーやティール組織の文脈でも注目されるようになっていた。

経営者である私の仕事も、現場の業務というよりも、組織や制度作りといった仕事にシフトしており、経営者のステージチェンジを感じていた。

経営者としては、社内ベンチャーからスタートしたので、一般的な経営のアドバイスをしてくれる人は周りにいなかった。その結果としてユニークなビジネスモデルや経営スタイルを実現できたのだが、会社が大きくなるにつれ、そろそろメンター的な存在がいて欲しいと考えていた。

かといって、通り一遍のアドバイスが欲しいわけではなかった。ソニックガーデンの稀有な状況やナラティブを理解した上で話ができる人がいればと思っていたが、そうはいないのが現実だった。

そんなときに、クラシコムの経営に関わる提案を頂いたのだが、私にとっての先輩経営者として青木さんはピッタリの人だと感じたので、お引き受けすることにした。今にして思えば、本当にお互いのタイミングが良かったと思う。

第2章:経営者とエンジニアの通訳をする

そうして、2018年の8月からクラシコムの社外取締役として関わることが決まったのだけど、そもそも「社外取締役」の仕事とは何か、よくわかっていなかったのが実際のところだった。

取締役ではなく社外取締役としたのも、私自身がソニックガーデンの代表取締役であり、その経営は続けたままという前提だったので、社外という形にしたが、単に取締役会で発言するだけでは本当の貢献にはならないと考えて、テクノロジーの現場に関わることにした。

当時のクラシコムの内製エンジニアチームは、長く続けてくれている1名のエンジニアの他は、私と同時期に入社した、中途採用の中堅エンジニア2名と若手エンジニア1名の体制だった。

経営サイドとしては、どのようにエンジニア組織をマネジメントしていくと機能するのか経験がなく、まだ集まったばかりのエンジニアたちも、カルチャーや規律、開発プロセスといったものがない状態だった。

経営がシステム開発に対する大枠の要望は伝えるものの、具体的な開発計画の立案や、進捗管理などは自分たちだけで決めていくため、丸投げに近い状態になってしまう。

経営としても、進捗状況が芳しくないという報告は受けるものの、対処することができないため、人材を増やすしかないとなって、追加で若いエンジニアを投入することになったが、それでまた進捗が悪くなってしまう。

経営もエンジニアも、どちらも真摯に取り組んでいるにも関わらず、うまく組み合わさらないことで成果を出せない状況になりかけていた。

そこで私が最初に取り組んだのが、社長である青木さんとエンジニアたちとの毎週の定例ミーティングを用意することと、そこに同席をして、それぞれの視点からの状況を互いにわかるようにしたことだった。経営の言葉をエンジニアの言葉に、エンジニアの言葉を経営の言葉に、それぞれ通訳するようなものだった。

また同時に、青木さんには、ソフトウェアの本質や、その開発における文化や哲学を伝えていった。ソフトウェアは一品モノであり、プログラミングは設計行為であり、人が増えても速くならないし、作ったものは保守コストがかかるし、なるべく作らない方が良いし、内部品質を犠牲にしたら後から大変になることなど。

ここで伝えたことは、数年後に拙著『人が増えても、速くならない』にまとめることができた。

文化を知って、言葉を知れば、相手のことを理解できるようになるのは外国の方とのコミュニケーションに近いかも知れない。こうした取り組みによって、青木さんのソフトウェア開発の解像度は急激に高まり、エンジニアと経営者の相互理解が進むことになった。

これ以来、「ソフトウェア開発は製造ではない」その前提に基づく意思決定がなされるようになった。

第3章:外部パートナーとマネージャ候補の採用

少しずつ内製エンジニアチームも幾つかのプロジェクトを経験して、練度や関係性も高まってきた2019年頃のクラシコムが運営する「北欧、暮らしの道具店」は、Webサイトだけの状況だった。

Webサイトのスマホ対応もしていたものの、まだスマホアプリはなかった。その必要性は感じていたものの、切迫した状況ではなかったし、何よりスマホアプリを作るだけの開発リソースが無かった。

モール型のECから自社製のECに移行していたクラシコムでは、利用者側の画面から、裏側の受注管理や在庫管理までをフルスクラッチ(すべて自作)で開発したシステムが動いていた。

パッケージやオープンソースの基盤を使っていなかったので、非常に柔軟な対応ができる一方で、その規模は大きなもので、メンテナンスコストも徐々に増大していたため、既存システムの保守対応で開発人員は手一杯の状況だった。

しかし、SNSなどの外部プラットフォームを使った顧客との繋がりだけでは、プラットフォーム側からの要求や変化が、いつか脅威になってしまう可能性がある。「自由・平和・希望」をビジョンとするクラシコムとしては、自主自立して顧客と繋がる場所が必要だと考え、いよいよアプリ開発に取り組むことになる。

とはいえ自社だけでは難しいため、外部リソースに頼ることを考えたとき、最初に思いついたのはソニックガーデンだった。しかし、その手段はこの時は実現しなかった。

2019年当時のソニックガーデンは、事業が順調に成長していたこともあり、多くの引き合いを頂いていたものの、採用に時間をかけていく方針だったこともあって、もはや新しい案件を受けるのは難しい状況だった。

また、今でこそ知見があって対応できているが、当時のソニックガーデンにはお客さまの内製エンジニアと組んでいく形は、まだ知見もなく難易度が高かったのも事実。結果、スマホアプリの開発でソニックガーデンと組むのは見送りとなった。

そこで、別の会社を探したところ、当時ベトナムに本社を置いて急成長しつつあった株式会社Sun Asteriskが候補にあがった。その創業者である小林さんと青木さんは知己の関係でもあり、私もお会いさせてもらって信頼できる会社だと思ったので、開発をお願いすることにした。

プロジェクトのキックオフは、ベトナムのハノイにあるSun Asteriskのオフィスに伺って行った。Sun Asteriskのオフィスには拙著『納品をなくせば、うまくいく』が飾ってあり、彼らの開発スタイルに影響を与えていると知って嬉しくなったことを覚えている。

時を同じくして、クラシコムでは採用活動を続けている中で、一人のUI/UXデザイナーを採用することになった。2025年現在、クラシコムで執行役員を務めてくれている村田さんだ。

彼の入社して初めてのプロジェクトが、このスマホアプリ開発となった。これまでの経験を活かして、外部パートナーであるSun Asteriskと、クラシコムのエンジニアたちとの連携をはじめ、初となるスマホアプリのUI/UX設計からディレクションまで実施してくれた。

初めてのことが多かったプロジェクトだったので難しい局面もありながら、2019年11月にiOS版をリリースし、翌年2020年4月にAndroid版をリリースすることができた。このアプリは今のクラシコムを大きく支えるものとなっている。

このプロジェクトを通じて、経営陣およびエンジニアたちから村田さんのマネジメント能力に対する信頼感は高まったこともあり、クラシコムの内製エンジニアたちのマネージャになってもらうことになった。

第4章:ミドルマネジメントによる経営のグリップ

こうして、クラシコムで初めてエンジニア組織の正式なマネージャが誕生した。そのおかげもあって、私の役割も少し変わっていくことになる。

それまではエンジニアたちの人数も少なかったこともあったりして、社外取締役ではあるけれど、私が直接1on1までしたりしていたが、そこはマネージャに任せていくことができるようになった。

青木さんも、毎週のエンジニアとの定例も出なくてもよくなった一方で、今度は、マネージャというミドルマネジメント層を挟んでのソフトウェア開発をグリップしていくという課題に向き合うことになる。

クラシコムの内製エンジニアたちの人数も少しずつ増えており、複数のチームに分けて並列にプロジェクトを進めるようになってきたこともあり、マネジメントの複雑さが増していたことも課題だった。

そこで導入したのが、「開発ロードマップ」という方法だった。

これは元々、ソニックガーデンで「納品のない受託開発」というお客さまと長期的な関係の中でソフトウェアの開発と改良をしていく時、毎週のミーティングだけでは近視眼になってしまうことを避けるために始めた取り組みだ。

「開発ロードマップ」によって、複数のプロジェクトを観察し、限られた開発リソースを適切に配分し、経営観点から見た優先順位を示し合わせ、その時点における実態をもとに状況を把握することができる。

毎週の開発タスクのような詳細なものはプロジェクト内でマネジメントしてもらうので、開発ロードマップは1ヶ月に1度くらいの頻度で見ていくことになる。

横軸に時系列を置いて、縦軸には開発リソースを配分するためのレーンを置く。そこに、進行中のプロジェクトと、この先の3ヶ月ほどのプロジェクトを配置していく。現在から近いものは精緻な見積もりを求め、より未来にいくほど、荒い状況でも良いので配置していく。この時、数ヶ月にわたるような大きなプロジェクトにはせず、数週間〜1ヶ月ほどで終わるような単位に分解をする。

スケジュールではなくロードマップなので、毎月アップデートしていくことが常態となる。1ヶ月進むたびに、さらに3ヶ月分の次の1ヶ月先が見えてくる。経営とエンジニアで、一緒に進捗に向き合うことできるようになるし、開発側は常に進捗が遅れているみたいなことはなくなり、ベストを尽くせば良くなる。

開発ロードマップを使えば、経営側としては一向に終わらないプロジェクトみたいな状況はなくなり、適切に進捗していることが把握できるし、この先1ヶ月くらいは確実に進むことが見え、その先に対応できることも知ることができる。必要に応じて、優先順位を変えて前倒しすることも、何が先で何が後かのトレードオフの意思決定がしやすくなる。

この時に導入した開発ロードマップは、今もなお更新し続けている。

第5章:上場に向けて監査等委員の役割にシフト

ミドルマネジメントと開発ロードマップによって、クラシコムのソフトウェア開発は安定し始めることになった。

その少し前から、クラシコムは上場に向けて動き出すことになる。それまでの役員体制に加えて、社外取締役を増やすことになり、かつ、社外取締役の立場のまま「監査等委員」になった。

私としても、未知の領域でもあるコーポレートガバナンスを学びながら取り組んでいくことになる。直接マネジメントで関与するのではなく、マネジメントに取り組む経営陣や現場のマネージャを統制していくことになった。

ここでのガバナンスという考え方と経験は、私自身が経営をしているソニックガーデンの経営にも大いに影響を与えることになった。中途採用を即戦力から若手に切り替えて、ミドルマネジメントである「親方」を配置して、徒弟制度を作っていこうとしていた時の参考になった。

クラシコムのガバナンスにおいて、私が主に見ていたのは、セキュリティやテクノロジーといった部分である。意識していたのは、高い信頼性を維持できるセキュリティ基準と同時に、スピード感や柔軟さを失わないことのバランス。

ただひたすら堅牢にするだけだと、開発生産性が失われてしまうことが起きる。その中庸のポイントを探っていくことに注視をしていた。取り組む中で気づいたことは、ガバナンス上に必須のことも、何も生産性を下げるためにある訳ではなく、そもそもの目的まで辿れば、良い着地点が見つかるのだということだった。

監査項目に対して思考停止しないこと、ステークホルダーへの説明責任を果たすことをすれば、安心・安全を確保しながら、高い生産性は維持することができる。

また、この当時はちょうどコロナ禍だったこともあり、クラシコムもリモートワークへ切り替えを行うことになる。ソニックガーデンは全社員リモートワークに先行していたこともあって、青木さんとはリモートでのマネジメントについてよく話し合った。

そうした取り組みをしつつ、簡単ではない道のりだったけれど、経営陣を中心に着実に進めた結果、クラシコムは2022年8月5日に東京証券取引所グロース市場へ新規上場を果たすことになった。

夏の暑い日だった。私も、東京証券取引所での上場セレモニーに参加させてもらうことができたのは、人生において大きな思い出の一つになった。

第6章:クラシコムから「納品のない受託開発」を依頼

上場に合わせて、クラシコムの経営体制も執行役員体制にするなど整備された。私は、上場企業の社外取締役として引き続き、関わらせてもらうことになった。

その当時のソニックガーデンは、新卒・第2新卒の若いプログラマたちの採用と育成に注力し始めていた頃だった。それまでベテランの即戦力を中心としたフラットな組織づくりをしてきたところから、親方と弟子による徒弟制度で新しい組織に生まれ変わりに取り組んでいた。第二創業期に入ったと感じていた。

そして少しずつだけど、戦力になってくれる位にメンバーも育ち始めていたので、ソニックガーデンとしては新しい案件を受注していけるくらいの余裕が生まれつつあった。

上場後のクラシコムで、大きめの経営判断として取り組んだのが、ファッションブランド「foufou」のM&Aだった。それ自体は、経営陣が中心になって取り組んだことで取引は成立することができた。

そして経営統合(PMI)の一環として「foufou」のシステム基盤の構築をする際に、満を持して、ソニックガーデンに発注することになる。私は、「foufou」の親会社の社外取締役の立場だったので、直接の関与はせず、クラシコムの執行役員である高尾さんを通じて状況を見守っていた。

そのプロジェクトを通じて、クラシコム側が「納品のない受託開発」に対する理解を深め、忖度なくソニックガーデンとの相性の良さについて、確認してもらえたのではないかと思う。

そうした背景があった中で、いよいよクラシコムでは基幹システムをリプレイスする機運が高まりつつあった。この頃には、クラシコム内のエンジニアチームも経験が溜まり、マネジメント含めて素晴らしい開発体制が整っていた。まずは内部のエンジニアたちだけでリプレイスできないか、何度かチャレンジをしていたが、どうしても現行システムの改修もしながらだと、難しいのも事実だった。

ここまで経営とソフトウェア開発に、青木さんと共に取り組んできたことで、ソフトウェアには持続的に開発し続ける組織が必須なことが共通認識として揃ってきた。ソフトウェアを作ることは、開発組織を作ることでもあるのだ。

クラシコムの内製エンジニアチームを育ててきた私としては、むしろ内部の人間でやっていくべきではないかと考えていた部分があったが、開発リソースの増やし方の柔軟さについて青木さんから気づかせてもらった。

目指すべき内製の姿がクリアになっていく中で、それこそソニックガーデンの「納品のない受託開発」が適しているのではないか、社内のエンジニアたちとも力を合わせていけるのではないか、と考えるようになった。

第7章:ネオ内製による基幹システムのリプレイス

私は、クラシコムの社外取締役の立場でもあり、ソニックガーデンの代表取締役の立場であるため、利益相反にならないよう関わらずに、その契約は慎重に進められた。実際に進めるとなった後も、現場で働くエンジニア同士のコミュニケーションや連携についても、慎重に進めていった。

クラシコムの基幹システムは、自作に移行してから約10年が経過していて、その間にエンジニアたちが弛まぬ改修をし続けてくれたことで、上場にさえ耐えうるだけの巨大なシステムとなっていた。

リプレイスするとしても、一度に全てを置き換えるとしたら、相当に長期間のプロジェクトになってしまうことは必然だった。しかも、大きな切り替えをするのは、同時に大きなリスクを伴うことになる。途中での進捗状況も把握しにくいし、何より、そうしたビックバンな進め方は、ソニックガーデンらしくはない。

そこで、既存システムを稼働させながら、新しいシステムも並行で稼働させて、少しずつ移行させていくという手法を取ることになる。これは技術的には非常に難易度が高い設計が必要となるが、クラシコムのエンジニアたちとソニックガーデンのエンジニアたちで、議論を重ねていくことで、実現の目処を立てることができた。

このプロジェクトについては、以下の記事で詳しく述べている。クラシコムのマネジメント視点、現場視点それぞれからの記事と、ソニックガーデンの「納品のない受託開発」事例としての記事だ。

【クラシコムのマネジメント視点】
システムが事業成長をリードする未来に向けて──創業から育てた自社製基盤リプレイスの挑戦

【クラシコムの現場視点】
まさに「引越し」だった、受注システムの移行をユーザー視点で振り返る。
現場とプロジェクトのあいだで奔走した“システムお引越し”の記録

【ソニックガーデンの事例としての記事】
育ててきた内製システムを「伴走型開発」で刷新。事業の本質にも切り込む対等な関係性で

ソニックガーデンが基幹システムのリプレイスに関わって、その後のエンハンスとメンテナンスを継続的に引き受けてくれることで、クラシコムのエンジニアたちも新しい取り組みに着手できている。より利用者に近い部分の改良が進むようになった。一過性のシステム開発ではなく、継続的な開発組織を作ることで、事業の成長に貢献できるソフトウェアを作ることができている。

また、基幹システムをリプレイスするプロジェクトを通じて感じたのは、クラシコムは会社全体で開発のカルチャーがあるということだった。ソフトウェア開発はエンジニアがするもので、現場の人たちは使うだけの人というスタンスでなく、現場こそが自分たちで作っていくんだという関わり方を誰もがしてくれた。

プログラミングをするかしないか、という強みの違いはあれど、もはや社内・社外の垣根どころか、エンジニアか非エンジニアかという垣根さえ超えて、一緒に悩んで良いものを作ろうとしている姿こそ、ネオ内製の目指すところだと感じている。

第8章:社外取締役から取締役CTOへ、創業経営者との兼業で

こうした中で、私にも大きな立場の変化が訪れる。社外取締役から、執行取締役CTOへの転身のオファーを頂いた。

2018年からクラシコムに関わり、最初は内製エンジニアチームを作っていくところから、外部パートナーとの連携、マネージャへの移管を行い、上場に向けて監査等委員として貢献し、上場後は社外取締役としてガバナンスに従事してきた。

長く一つの企業に関与させてもらったことと、内部から外部から様々な立場を経てきたことで、クラシコムという会社を経営していく上での理解は相当に深まってきていたし、少なくともテクノロジーに関する分野においては、社長である青木さんと同等以上の解像度で判断できるようになったと思う。

数年間ずっと毎週のように青木さんと話し合いを続けてきたことが、お互いの信頼関係に繋がっているように感じている。

また、関わり始めた頃に比べて、私の中で、CTOとは何か、取締役の責務とは何かということについて、より理解が深まってきた。CTOは、エンジニアのトップではなく、むしろ経営者の一員であることが重要である。CEOと一緒になって、より高い解像度で意思決定することが責務となる。

私は、自らが創業し代表取締役社長をしているソニックガーデンの経営は続けていくつもりである。

ここ数年のソニックガーデンでは、改めて企業理念として「いいソフトウェアをつくる。」を掲げたことで、これまで以上に幅広く社会に貢献できるような取り組みをしていくように変化しつつある。この企業理念は、私が生涯かけて取り組みたいと考えているものだ。

だが、だからこそ、クラシコムの取締役CTOとして関わることは「いいソフトウェアをつくる。」ことの一環になると考えている。なぜなら、ソフトウェアは事業経営と切っては切り離せないものだからだ。いい事業を作っていかなければ、いいソフトウェアにはなり得ないし、その逆も然り。

これまでクラシコムに関わらせてもらったことで多くの学びを得たし、それがソニックガーデンの経営に活かすことができた。ソニックガーデンの取り組みで、またクラシコムへの貢献もできる。

この関係は、長く続けた保守的な進化の果てにある、互いに自由であり、平和的な対話ができて、共通の希望を持つことのできるものだと感じている。二つの企業の経営に関わるという稀有な体験が、相互にとっての高い価値を生み出すという事例になっていけば幸いだ。

* * *

クラシコムに関わり始めて半年くらいして取材してもらった記事を見つけた。これで、あのとき話した小さな希望は作れただろうか。

「斜め上」は目指さない!クラシコム社外取締役・倉貫義人と考える新たな環境で成果を出すためのステップ

倉貫 義人

株式会社ソニックガーデン代表取締役社長。経営を通じた自身の体験と思考をログとして残しています。「こんな経営もあるんだ」と、新たな視点を得てもらえるとうれしいです。

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